さっき、ふと気付いた。
病気の苦しみは、その病気になった人しか分からない。
偏頭痛の辛さも、偏頭痛の経験がなければ本当には分からない。
貧困の悩みは、貧乏だと感じたことがある人しか分からない。
借金の苦しみも、借金の返済に困って困ってどうしようもないといった経験がなければ本当には分からない。
人間関係のトラブルは、人とトラブルになった人しか分からない。
親しかった人との悩みも、大切な人だった人とトラブった経験がなければ本当には分からない。
そのように、自分が経験しないことは、他人のその心の痛みが分からないものだ。
しかし、たった1つ、経験がなくても、人の痛みがわかる方法がある。
それは、想像力だ。
その人になり切る想像力。そうした想像力があれば、同じ経験をした程度とまでは言わないが、それに近いものを感じることができると思う。
ただそれには条件がある。
それは、思いやりが必要だということだ。
つまり思いやりがなければ、想像力豊かでも、相手に対して想像力を働かせることはできない。
殊に、政治家にはそれが求められると思う。
「想像力と思いやり」
大地震で被災した人々のことを、思いやりのある想像力を働かせたとき、どれだけの人々の心の痛みが理解できることだろう。どれだけの人々を救えるだろうか。
僕は思う。
寄り添い力の根源は、自身の経験のみならず、思いやりのある想像力だと。
※以前のPOSTでは、寄り添うとは想像することだと書きましたが、その想像力には思いやり、つまり愛が根底に必要であると今回付け加えました。