1995年1月17日午前5時46分、マグニチュード7.3の地震が神戸を中心とし、阪神淡路地方を襲いました。
私は当日の朝、テレビ報道を見て、本当に大変なことになったと思いました。
実は、震災の大きな被害もさることながら、震災から3年後から被災地を襲った不況の波が、より被災地の人々を苦しめました。
震災直後よりも、3年後から急増した自殺。
3年後、4年後となるにつれて高まる失業率。
社会的弱者ほどダメージが大きく、一方では働き盛りも心の病で挫けていく。
それはまさに、「もう一つの震災」で受けたものであるかのようです。
東日本大震災後に、私が阪神淡路大震災を経験した会社社長や、当時ボランティアをされていた方々に聞くと、異口同音に、震災の3年後からが本当に大変だったと言われます。そして今でも、震災前の神戸の賑やかさは戻っていないとも言われます。
従って、このままいけば、三陸は震災前にも戻れない。
私は、そのような阪神淡路大震災を教訓にするべきと考えています。
つまり、東日本大震災で甚大なダメージを受けた三陸エリアも、本当に大変なのは、3年後からだと。
「もう一つの震災」に備えて、今から新しいことをどんどん切り拓かなければ、阪神淡路大震災の二の舞になる。
今は復興特需といって、一部では賑やかさがあっても、いつまでも続かないことは誰でも解ることです。
だからこそ、震災前よりも遙かに素晴らしい地域になることを目指し、新しい産業、新しい事業をどんどん興していくことが重要だと思うのです。