熱き情熱

自己愛と利他愛の揺らぎで生きる

やはり人は、他人よりも良く見られたいという願望があるものです。

人として優秀だと思われたい、人とは違って特別だと思われたい、人として素敵だと言われたい、とても優しい人だと言われたい、よく頑張っていると思われたい、人に親切をして偉い人だと思われたい、など。

また人よりも豊かな生活をしたいという願望もあります。

できれば人が羨むような家に住みたい、自分の満足感を満たしてくれるクルマに乗りたい、家族が仲良いところを知られたい、美味しい食を愉しんでいるのを知られたい、ブランド品を身につけたい、など。

そのような、自己愛としての人の感覚は、極めて一般的だと思っています。

戦後、豊かな日本を築き上げた原動力は、そのような競争意欲、豊かさの追求にあり、その結果、大変豊かな日本ができたからです。

しかし、私は、一方でこのような利他愛から出る気持ちも大事にしたいと思っています。

誰かのために役に立ちたい、陰ながら人を応援したい、困っている人を助けたい、誰もが人らしい生き方ができればと願う、世の中の悲しみを消したい、自殺者をゼロにしたい、人と人の争いを見るのは辛い、人が嬉しい顔を見るのが何よりの喜びだ、など。

時代は、成長、進化、発展し続けています。

戦後は、まともに食事ができない時代に、物質的な豊かさを目指し、人との競争によって、トータルの成長がありました。

現在は、そうした時代ではないです。衣食住はとりあえず満たされています。

しかし、時代錯誤的に、未だに自己愛にこだわっているところに、社会の歪みが生まれているように感じています。これからは、利他愛にシフトする時代。

ソーシャルベンチャー(社会起業)という言葉がもてはやされている理由もそこにあると思います。

つまりは、どんな人も、どんな会社も、これからは自己愛だけではなく、利他愛も求められ、企業であれば社会性が求められる時代。

従って、戦後、勃興したベンチャー企業と、震災後に東北で興すベンチャー企業は、時代が違うので、方向性も違うはず。

自分の幸せだけではなく、地域社会に貢献することも合わせて考え、それを実際の行動にする起業が求められていると感じています。

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