10月13日の開催まで、残すところ、あと1週間になりました。
泣いても笑っても、あと1週間。
思えば、今回のイベントをしようと思ったのは、昨年の9月にゴールウェイインターナショナルオイスターフェスティバルに、三陸牡蠣生産者とともに行って感銘を受けたことがキッカケでした。
しかし、それはあくまでキッカケであり、もともと僕は、三陸に世界の人を呼び込み、世界有数の観光地にしたいと願っていました。
これはテレビの画面を撮ったもので、写りが悪いですが、昨年10月にテレビで紹介されたビデオです。
ここで僕はこのように伝えています。
「20年後には、世界中から、ここ三陸に観光客がドッと押し寄せて、こうして美しい景観と美味しい食を楽しめる、そういう三陸になればいいと思っています。」
この思いは、三陸と牡蠣生産者と新しい養殖方法で付加価値の高い殻付き牡蠣を作ろうと株式会社和がきを設立した後、和がきの提携生産者の前で、何度も、何度も言い続けた、僕の思いです。
何のために、僕は、三陸の牡蠣を宣伝し続けるのか、
それは、まさに、この20年後のゴールに向かっているからです。
世界中に三陸のプレミアム牡蠣を提供して、フランス式牡蠣養殖に取り組んでいることも、三陸かき小屋街道といって、三陸沿岸部にかき小屋が広がるようにかき小屋を立ち上げたことも、ベトナムまで行って三陸牡蠣を売るKAKIGOYAをやっていることも、そして今回の三陸オイスターフェスティバルで、三陸の浜を超えて、三陸牡蠣全体のフェスティバルを催すことも、すべてが、この20年後のゴールのためなのです。
だから、たとえ、無力な僕でも、やり続けたいと思っています。
それが、僕なりの、東日本大震災で犠牲になられた方々への供養だと思っているからです。
それが、僕なりの、東日本大震災で沢山の涙を流され残された方々への励ましと思っているからです。
僕も親しい友人を亡くしました。
お付き合いのある牡蠣生産者のご家族も亡くしました。
三陸沿岸部をまわる中で、沢山の悲劇を知りました。
一方、被災し、家族を亡くされた方々が楽してお金を持ったことを妬む、心ない人の話しも聞きました。
震災特需で、一時的に売上があがり、良くなっている話しも聞きました。
仮設住宅で孤独を感じ、夜に声をあげて泣く年配の男性が沢山いることも聞きました。
このままでは、犠牲になられた人も、家族を亡くされた方も、無事だった方も、地域の人、すべてが幸せになれないと感じます。
やがて、震災特需も終わり、三陸は、東北は、震災前よりも、悪い状況になることは想像に難くありません。
だから僕は思うのです。 単に震災前に戻るのではなく、震災前よりも素晴らしい三陸に、東北にしよう、と。 それは逆をいえば、このままなら、震災前にすら戻れないからです。
東北人の粘りで、震災前よりも遙かに素晴らしい東北にする、そういう想いを描いて、今回の三陸オイスターフェスティバルを開催したいと思っています。
まだ開催の資金が足りません。ご協力いただければ嬉しいです。
また、ぜひ周りの方々もお誘いいただき、10月13日当日は、石巻サンファンパークでお会いできればと思います。
どうか、よろしくお願いします。