熱き情熱

2031年3月11日 三陸ビジョン

日本が誇る景色を有するサンリク。
世界中から観光客が訪れるサンリク。
リアス式海岸が見下ろせる素敵なホテルのあるサンリク。

世界の牡蠣の半分は、ここサンリクの牡蠣の子孫だ。そのサンリクには、世界に誇るオイスターがある。

世界の人はサンリク・オイスターをつくる本場に憧れる。
いつか、本場サンリクで、素敵な景色を見ながらオイスターを食べることを夢見る。

サンリク・プロムナードは、仙台から八戸まで続く散歩道だ。
総延長は約350km、ちょうど東京日本橋から名古屋までの距離とほぼ同じだ。
その長いサンリク・プロムナードを、ゆっくり観光しながら1ヶ月以上かけて歩く人もいる。
サンリク・プロムナードには、茶屋がありカフェがあり、そして「かき小屋」が点在している。
その道の駅の小型版のような「かき小屋」には、牡蠣をはじめ地域の豊富な魚介類を食べられる。
基本的にバラ売りしている農産物や果物もところ狭しと並べてある。

三陸を走る鉄道の海側には、ところどころに桜の並木があり、桜の季節になると、電車はゆっくりと走り、乗客は綺麗な桜と、桜の背景に見える青い海との美しい景色に心が揺さぶられる。

「今までこんな景色見たことない。」
サンリクを初めて訪れる観光客が一番口にするフレーズだ。

サンリクの街は、どこでもクルマよりも歩行者優先だ。
だから横断歩道はない。
クルマも市街地では時速30キロ以下で走行するし、手を挙げる横断者がいたら、必ず止まって笑顔で歩行者に道を譲る。
年配者にはとても住みよい地域だ。

サンリクでは音楽が盛んだ。
かき小屋の周りには人が集まり、広場では世界中から集まったアマチュア音楽家が音楽演奏をして観光客を楽しませている。
大道芸人も混ざっている。中にはサンリクの観光をしながら、持ち歩いているマイ楽器で時々音楽を奏でる人もいる。
サンリクの街の郊外では、新しいビジネスが盛んだ。

沿岸部の波力発電や潮流発電、リアス式海岸の特徴を活かした水力発電、また森でのバイオマス発電の工場があって世界に設備を輸出したり、非常に安全性にこだわった船をつくる造船所もあって、やはり世界に輸出している。

サンリクでは、国内はもとより、世界中を相手にしたビジネスが多いため、地方の疲弊とは無縁だ。
最近では、海の水族館が出来た。水族館は人工的につくられた島の中にあり、実際の魚や生き物も直接見ることができるのだ。
沖にあるし頑強な構造体でもあるので、20年前のような東日本大震災のときのような津波が来ても大丈夫だ。

今は、2031年3月11日。あの悪夢のような出来事からちょうど20年が過ぎた。
僕は2011年3月11日、宮城県石巻市で被災し、家も津波で流された。

東京に住んでいる12歳になる孫が、聞いてきた。
「ね、おじいちゃん。サンリクってすごくいいところだね。」
「昔から、こんなにいいところだったの?」
僕は答えた。「いや、20年前までは、大したところではなかったんだ。」
「景色は同じように綺麗だったけど、観光客が多いのは松島くらいで、他はほとんどいなかった。」
孫が不思議そうに訊ねた。
「どうして今のようになってきたの。」
「うん、20年前の今日、この三陸で巨大な地震があったんだ。そのときに1000年に1度あるかないかという大きな津波があって、2万人くらいの人がいっぺんに亡くなったんだ。」「そのときに、震災前に単に戻るんじゃない、震災前よりも遙かに良くなろう!と頑張った人たちが大勢いたんだ。おじいちゃんもその一人だよ。」
「みんな思ったんだ。この三陸を遙かに良くすることが、亡くなった方への最大の供養だって。」

僕は思った。
サンリクは素敵なところになったけど、これが終わりではない。
世界中には沢山困っている地域がある。
その地域を救うのは、その地域を愛する人たちだ、と。
ちょうど、20年前に立ち上がった僕らが、このサンリクを愛したように。
そして今、僕らは、世界中の困ったところで、サンリクの奇跡の復興を伝え、世界の隅々までを勇気づけている。

2013年8月15日発行 齋藤浩昭著「三陸牡蠣復興支援プロジェクト」より