Ordinary Days

謹賀新年 2021年

僕にとって、今までにない追い詰められ感と緊張感のある年に入りました。
明けまして、おめでとうございます。

なぜ、追い詰められ感があるかというと、それは昨年、20年経営してきた会社が倒産したから、とか、三陸牡蠣産業や日本の牡蠣業界を良くしたいという志半ばで挫折したから、とかいう理由ではなく、恐らく年齢からくるものだと感じています。

20代で独立したときには、僕は若い経営者だったし、「若いのにすごいね」と言われてきたのに、だんだんと周りの経営者の友人のほうが僕よりも若くなってきているという事実があるのです。

もちろん、「年齢は関係ない」、「人生100年の時代なのだから」という話しもありますが、実際問題、50代も後半に入ると、その意気込みは薄らいでしまうもの。

さらに、心の奥底では、もう僕は子どもの頃に思い描いた立派なこと(自分自身がそう思えること)はもう出来ないのかな、という諦めに近い感情がフツフツと湧き上がることを感じています。

これからは自分が第一線でやるよりも若い人を応援する側にいたい、と思っても、40代に予定していた資産をつくれたわけではないし(逆に破産しているし)、またそれだけの実績をつくってきたわけでもないので、応援する側にも立てないというムズムズ感いっぱいの感情が残っています。

さて、どうしたものか。

よく言われることは、「何かをしようと考えた場合、今このときが一番若いんだ」ということは事実なので、今年の春、創業する会社で思いを実現しようと自分を奮い立たせているところです。

だからこそ、きっとこれが最後なんだろう、自分が第一線で、トップとしてやるのは最後なんだろうと思う気持ちが、冒頭に書いたとおり、僕を緊張させるのだろうと思っています。

いやこれから何度失敗しても、また立ち上がればいいと思える30代との大きな違いです。

そういいながら、したたかな50代の僕は、この新型コロナ感染症のタイミングは100年に一度のチャンスになるだろうと思っています。もちろん、感染症でなくなられた方の無念さやご家族の悲しみは言葉にできないもの(心からお悔やみ申し上げます)だと思っていますし、感染症の影響で派遣切りに遭ったり、仕事を失われた方には、会社を倒産させ、10ヶ月間タクシー運転手をしていた者として、その苦しみは理解できますが、それでも、僕はこの機会を絶対に見逃してはならないと思うのです。

そしてまた、2011年の東日本大震災で大変な被害に遭った三陸沿岸部も、単に被災して可哀想だと思うだけではダメだ、震災前よりも遥かに良い地域をつくっていくことこそ、真の復興だし、本当の弔いができると信じて取り組んできたことに近いものを今回の感染症のことでも感じるのです。

さらに今回は、一部のエリアだけの話しではなく、全世界の話し。

だから、、だからこそ、この災難をバネに、より良い社会をつくろうと。
これ以上ないくらいのチャンスと意義はあるんだと。

僕はそのために、今までの経験を活かし、精一杯、事業を通してより良い社会をつくるために、今一度、第一線で頑張ろう、と思うわけです。

今年春につくる会社はスタートダッシュします。「最初からラストスパート!」です。

ありがとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。