事業経営

働くことの意味が変わる

エコノミックアニマルと言われた60年代の日本人は、その批判を真に受けたかのように段々と労働時間を減らし続けました。

出典:総務省

これを見てもわかる通り、日本人の労働時間は半分ほどに減っていますが、すでに日本は十分に豊かになったから仕事時間をどんどん減らしてきたのでしょうか。

次のグラフを見るとそうではないことがわかります。

なぜなら、この20年間は実質賃金は他国と比べて低下傾向にあるからです。

出所:アイティメディア

つまり、今はお金をつくりたいからもっと働きたいけれど働けない、というような状況にあるようにも感じられます。

もっとも、これは政治的な問題であることは間違いないと思いますが、今回のブログでは別な視点で書いていきたいと思います。

仮定ですが、今後の政治が変わり、その政策が成功し、他国のように仕事時間が減りつつも可処分所得が増えたとしても、僕はまだまだ社会は良くなるように変えられるものだと考えています。逆に言えば、まだ人々はそういうことでは幸せになれないのだと考えています。

というのは、人々が豊かになる、幸せになる、ことがゴールとしたら、お金は単に一つのツールに過ぎないので、それがあったからといって豊かであり、幸せとは限らないからです。

もちろん、現在、労働時間が減り、可処分所得が増えることで助かる人がとても多いと思いますが、しかし現在のテクノロジーを考えれば、そうなることは当たり前だし、テクノロジーの進化が遅いというよりも、政治の進化が遅いと思っているのです。

さらに言えば、今後(可処分所得が増える時代になったあと)、仕事というものは、お金を稼ぐためにやることではなくなると思うのです。

例えば、運転の仕事をしたいからドライバーをやってみたいとか、自分の作ったものでお客様の笑顔を見たいから飲食店をしたいとか、あるいは何かしらの社会問題を解決したいから新たに事業をやるとか、つまりは生活をするための仕事から開放され、自分が「経験」したいからその仕事をする時代になってくるように思っています。

AIテクノロジーを利用することで、その実現可能性が高まっています。

そう考えたときに、AIが自分たちの仕事を奪うかどうか、の議論も陳腐なものだと感じています。

僕は思います。

テクノロジーは、すべての出来事を見える化し、誤魔化しようのない時代をつくり、どういう政治、経済の政策が適切なのかの判断材料を人間に提供し、持続的世界をつくるためのパートナーとして、私たちが人らしい生活を行えるようになるための道具だと。