フィロソフィー

後悔の時間は命をムダに削ること

昨日、僕はお世話になっている仙台のNPOでお話しさせていただきました。
 BSKオンラインセミナー ‘91.3.20

僕がそこでお話しした一部を、もう少し書いてみようと思います。

僕は昨日、このようなお話しをしました。


2017年、2018年、2019年と事業譲渡を繰り返し、ついには2020年に会社倒産手続きに入るまでの時間、僕は時間をムダにしたと思っています。決してタクシードライバーや軽貨物ドライバーをしていたことがムダだというワケではなく、過去をいつまでも振り返っていた時間が勿体なかったと思うのです。

きっと東日本大震災に遭われた被災者の方々は、2011年3月10日までの生活と、震災後の生活が一変して、どうしてこうなったんだろうっていつまでも過去を振り返られたことと思いますが、被災者の方々ほどの苦労もないのに僕もあのときこうしていればよかった、なんで今こんなことしているんだろう、っていつまでもいつまでも過去を振り返っていました。

今思えば、そうした時間が勿体なかったんです。「今」を受け入れることはとてもとても難しいことですが、それでも「今」を受け入れ、これからのことを考える時間をつくるべきだったと思っています。

 

このような過去を振り返る感性的な悩み、これは一つの節だと思われるかもしれませんが、僕は勿体ない時間だと思っています。

確かに、振り返って、自分がどうして選択を誤ったのか、今後同じようなことがあったらどうしたらよかったのか、と反省することは大事かも知れません。

しかし反省ということの多くは、感性的な悩みをいつまでも持ち続けることが多く、決して建設的(将来に生きるためのもの)ではないと思うのです。

乱暴な言い方をしてしまえば、反省はする必要がないかも知れません。

何故なら、反省といって感性的な悩みをするくらいなら、前を向いて「今」のことを考えたほうがよほど建設的だからです。

感性的な悩みが起きない状態になってから、振り返りを行い過去の経験を次に活かすことに使うべきだろうと僕は思います。

改めて書くと、倒産のような出来事や災難や事故に遭ったときには、まずは過去は一切振り返らずに「今」を冷静に受け入れ、これからどう進むべきか、現在から未来のことを考えることが大事なのだろうと思うのです。

時間は命。その命とも言える時間を大切に使いたいものです。