熱き情熱

危機は「今」を見直す絶好の機会

何度もブログに書いてきましたが、当社は2000年にITベンチャーとして創業しました。

環境と共生することが大切であることを示すシンボルとして、風力発電の風車を建てたい、そのための資金を上場して作りたいという、ちょっと変わった動機でした。自宅マンションの一室で1人で創業した僕はそれを真面目に考えていました。

創業から4年半後の2004年に株式を公開するまでになったものの、2007年には諸々のプロジェクトが失敗し、当時30人まで増えていた社員がわずか自分を入れて3人となってしまい、事業転換を余儀なくされました。

IT部門は丸ごと事業譲渡し、たまたま残った事業が牡蠣のネットショップ。自社開発のショッピングカートの検証のために用意したネットショップなので、事業と言えるほどではなかったものの、他にすることがなかったので、そのネットショップを日本一の牡蠣ネットショップにしようと思い、それからは牡蠣一本でした。

やがて、2、3ヶ月後には、牡蠣事業こそが、自身の天職と感じるほど、牡蠣の仕事が大好きになり、どんどんのめり込んでいきました。

2011年3月11日の大震災・大津波で壊滅的な被害を受けた三陸牡蠣業界に対し、復旧のためのプロジェクトやさまざまな三陸牡蠣の活性化プロジェクトを立ち上げてこれたことも、残った牡蠣のネットショップが自分の天職だと思っていたからだろうと思います。

多少なりとも、当社が進めてきたプロジェクトが三陸牡蠣業界に貢献できているとしたら、それは、2007年の危機があったからに他ならないのです。

もしあのままITベンチャーとして順調に事業が成長していれば、牡蠣は自身の天職だとも思わず、三陸牡蠣業界に貢献しようという思いすら生まれなかっただろうと思います。

つまり、危機は、事業を見直す絶好の機会であり、絶好の機会を自分の手でしっかり掴み取れば、その後の成長(必ずしも売上の成長ではない)につながるということです。

そして今回、また大きな危機がありました。

昨年末に発生した風評被害に対して、牡蠣の需要が激減したのです。それに合わせて、新規事業がなかなか思うように行かなかったことも原因でした。

まるで2006年に当時の本業であった受託開発の一つで失敗し、一方、幾つかの新規サービス開発でいつまでも軌道に載せられない状況に陥っていたものと似ています。

ただ似ている危機でも、私も多少の経験値が増えているために、全部を変えることはありません。牡蠣事業は、僕自身のライフワークであり、三陸、日本、世界の牡蠣業界を変えることは自身のミッションだと信じているからです。

今、その事業に、牡蠣以外の新たな事業を増やそうと思っています。今までも増やそうとしたことはありましたが、今回はどうしてもしなくてはならないのです。

そして数年後、僕はこうなると信じています。

2017年の危機で別な事業を増やしたからこそ、次なる圧倒的な成長ができたのだ、

と。

ワン・ワールドトレードセンターを見上げて(2015年ニューヨーク)