私は2011年の震災から2週間後に三陸牡蠣復興支援プロジェクトを開始し、三陸沿岸部を毎日走りまわりましたが、プロジェクト開始から2、3ヶ月経ったくらいでしょうか、私の気持ちの中に次のような疑問が芽生えました。
「確かに震災前の生活に戻るのが急務だけど、本当に震災前って良かったのかな」
「震災前の東北って、将来どうなっちゃうんだろうっていう状況じゃなかったかな」
「復興って、単に震災前に戻ることをいうのかな」
そう思いながら、牡蠣生産者への支援を行っていましたが、次第に、次のことが私の思いになっていきました。
「どうせ何もなくなった状況から立ち上がるなら、震災前に単に戻るのではなく、震災前よりも遙かに素晴らしい東北になるのがいいんじゃないかな」
「復興とは、復旧や再生ではないのだから、よりよくなることが真の復興じゃないのかな」
そして私は、2011年の秋には、次のコトバが私の信念となりました。
「単に震災前に戻るのではなく、震災前よりも遙かに素晴らしくなることが真の復興」
この写真は、2011年の12月に東京であったイベントで私が発表したときのものです。
それから、私は、機会があれば、さまざまな場所で、さまざまな方に伝えてきました。
もちろん、三陸沿岸部によく行っている私としては、震災前の生活にみんな、まずは戻ってほしい、戻れるように貢献したいとは思っていますが、ただそれは、国も県も市も、そして沢山の政治家や団体も進めていることです。
しかし、震災前よりも遙かに素晴らしい東北にしたい、三陸にしたい、ということは、なかなか言える人は少ないと感じます。
何故なら、例えば、政治家が言ったら、住民から、何を言っているんだ!まずは自分たちが元通りの生活ができるように支援するのが先だろう、と言われるからです。
では、何故、私が、三陸沿岸部がまだまだの状況を知っているにも関わらず、こうしたことを常に口に出していうかというと、自分のことを悪く言われても、誰かが言い続けなければ、東北に、三陸に本当の幸せはやってこないと感じるからです。震災で被災された方々や、大切な方を亡くされた方々こそ、いつか辛さを乗り越えて、幸せを感じてほしいと思うからです。
私の言い続けている夢、それは、
「20年後には、世界中から三陸に観光客がどっと押し寄せ、三陸の素晴らしい景観と、美味しい三陸の食を愉しめる、そういう世界有数の観光地に三陸がなること」
です。
私は、 しがない零細企業の社長であり、大した力もなく、広い人脈もないです。でも、思いが強ければ、思いは伝わり、広がると思っています。
日々、その思いを強くするよう心がけていきたいと思っています。