2002年末に北海道厚岸の牡蠣の販売からスタートした日本全国の牡蠣を取り扱う「海鮮直送 旨い!牡蠣屋」を、先日、事業譲渡しました。
振り返れば、2007年にITベンチャーだった会社を縮小させた際に、残った事業は自社開発のショッピングカートの検証のために用意していた、わずか3つの産地の牡蠣を取り扱う通販サイトだけでした。
それからというもの、その通販サイトを日本一のネット牡蠣屋にしようと思って奔走した結果、日本全国40箇所ほどの産地の牡蠣・岩牡蠣を取り扱い、日本最大級の牡蠣ネット通販サイトになりました。
途中、2011年には東日本大震災では、牡蠣通販サイトをやっている強みを活かして、三陸牡蠣復興支援プロジェクトを進めました。
しかし、オイスターバーでの失敗、慢心から技術へのキャッチアップ不足で起きた収益減少を直接原因として、今後の事業展開を合理的に考えた結果、今回の事業譲渡となりました。
それはそうと、どうも僕にとって、しなければならないことがあったときに、半ば強制的に方向転換をさせられている感じがしています。
2000年にITベンチャーとして一人で創業し、2004年には20人の社員とともにグリーンシートに株式を公開し、社員が30人になっていた2007年に、諸々のプロジェクトが失敗したために縮小せざるを得なくなり、先ほど書いた通り牡蠣の通販事業しか残らなかったことから、IT事業会社から牡蠣事業会社に完全にシフトしました。
ITベンチャー時代を知る友人、知人からは、「もうすっかり牡蠣屋さんですね〜」と言われ、さらに、牡蠣屋になってからの友人、知人からに「もともとはITベンチャーだったんですよ」と言うと、とても驚かれました。
そのとき、まさかその4年後にあの東日本大震災が来るとは思いませんでしたが、実は、東日本大震災が来るまでに、三陸を含めて、日本中の主な産地をほとんど網羅し終えていたことを考えると、そのタイミングにゾクッとします。
なぜなら、僕の会社で、2011年3月11日東日本大震災の2週間後に「三陸牡蠣復興支援プロジェクト」(2011年3月26日〜)を開始できたのは、既に、三陸牡蠣の生産者とのネットワークはある程度あったし、その後のフランス式牡蠣養殖(2012年〜)導入、オーストラリア式牡蠣養殖(2014年〜)導入、三陸オイスターフェスティバル開催(2013年〜)、三陸かき小屋チェーン展開(2014年〜)、三陸牡蠣ノボリプロジェクト(2014年〜)、三陸プレミアム牡蠣養殖支援プログラム(2016年〜)等々を展開できたのも、日本全国の牡蠣を扱っている会社としての信用と人的ネットワークがあったからなのです。
いずれにしても、もし2007年に、牡蠣事業にシフトしていなければ、2011年の震災以降のプロジェクトは、何一つ、実現できなかっただろうと思います。
そして現在、僕の会社は、再び変革する時期にあります。まるであの2007年と同じように。
僕は感じています。
今までやっていたことをバッサリ止めて、次に進むことは容易なことではないこと、
そして、多少なりとも何かしら人の役に立ちたいと思う人間には、神様は、(時には半ば強制的にも)必ずその機会を与えてくださるということを。
※※※ 今後、牡蠣事業から全く離れるわけではありません。引き続き、牡蠣卸販売、輸出を進めますが、主たる事業が変わっていきます。