三陸牡蠣復興

僕は言い続ける、書き続ける

三陸オイスターフェスティバルの開会式のときに、実行委員長として僕がお話しさせていただいたことに、いつものセリフがありました。

つまり

「真の復興とは、単に震災前に戻るのではなく、震災前よりも遙かに素晴らしい状況になること」

「20年後には、世界中から三陸に観光客が来られ、三陸の美味しい食と素晴らしい景観を愉しめる、三陸がそうした世界有数の観光地になること」

当社のスタッフも、ブログを読まれる方も、耳にタコ状態かと思います。
しかし、まだまだこの想いは、周囲に伝わっていないと感じます。

 

前にもブログで書いたとおり、震災特需が終わり、国内が東京オリンピックへの期待に視点が移れば、三陸は忘れられるという危機感を持っています。いや忘れられてもいい、しかし、地元での自立を急がなくては、震災前の疲弊した状況よりさらに悪くなると感じるのです。

震災前にすら戻るのが大変なのだから、普通にしていたら、決して震災前には戻れないのです。それだけ地域は多くを失いました。
だから、震災前よりも遙か上のほうを目指すことで、ようやく、震災前に戻るか、それより少し上になる程度なのです。

 

しかし、それでも足りません。

震災前よりも、飛び抜けるほど素晴らしい状況をめざすことで、震災をバネにすることで、今までにない三陸、東北へ生まれ変わることができると、僕は信じています。

こんなことをいうのは、変わり者の僕くらいかも知れませんが、少なくても、三陸オイスターフェスティバルの開会式に来られた方には、心を込め、想いを伝えたと思っています。

 

※僕の開会式の挨拶が写っているビデオ

 

そして閉会式には、次のようなことも言いました。

「付け加えて、20年後には、世界中の牡蠣ファンの中で、三陸牡蠣を知らない人はいないようにしたい」

つまりは、震災から20年後には、世界の隅々まで【三陸牡蠣】が広がり、三陸牡蠣が世界中で有名になる、ということです。

 

それは結局、牡蠣を通して、三陸の真の復興へ貢献したいからです。

まだまだ足元もガタガタするような、小さな零細企業ですが、それでも、僕は、この想いを言い続け、書き続けたいと思っています。