Oysters

牡蠣事業からの撤退

2002年末から開始した牡蠣のネット通販から、僕の牡蠣人生はスタートしました。

僕がどれだけ牡蠣を想い、牡蠣生産者を想い、牡蠣事業こそ我が天命、と思っていたか、過去ブログをご覧の方には伝わっているかと思います。

そして今、僕はそこまで思いを馳せていた牡蠣事業を辞めました。

経緯をカンタンに書くと、次のとおりです。

2016年12月に宮城県漁業協同組合から「ノロウィルスが原因でカキ出荷を自粛する」という発表がありました。
そのニュースは新聞はおろか、全国放送のテレビ、ラジオ、さらにニュース記事のリツイートでも「宮城産カキ出荷を自粛 ノロウイルス検出で」というような内容でまたたく間に情報が全国に広がりました。
(参考:日本経済新聞 20161221

直後から、加熱すれば全く問題ないはずのカキ小屋は販売が激減し、牡蠣ネット通販事業、牡蠣卸事業も落ち込みました。

浜のほうも売れなくて困っているっていう悲鳴を上げていたので、何とかしたいと思い、翌年の2017年5月に仙台市内にオイスターバーをオープンしました。

2017年秋からの牡蠣シーズンには産地での風評被害の影響は回復し始めていたものの、当社では全ての事業で前年割れして回復せず、さらに新規事業であったオイスターバーもなかなか軌道に乗せることができなかったために、ついに、かき小屋事業の事業譲渡から始まり、さらに中心事業であった牡蠣ネット通販事業、そして最後には牡蠣養殖資材販売事業、牡蠣卸事業を手放し、結果、牡蠣事業は一つも残らなくなり、2002年末から続いた牡蠣事業は、今年2019年に終わりを迎えました。

特に2007年にIT事業から牡蠣事業に転換してからは、牡蠣事業にどっぷり浸かり、牡蠣こそ我が天命、と思っていた生き方だったのですが、ようやく最近、最後の事業譲渡が終わったので、改めてブログに心境を記しておこうと思ったわけです。

その心境をご覧いただく前に、よろしければ、次の動画ご覧ください。

非常に緊張してカミカミでしたが、僕が牡蠣を通してどのようなことを目指していたか10分程度でご覧になれます。

2014年「Sendai for Startups」

僕のこのブログを以前よりご覧いただいている方は、動画をご覧にならなくてもおよそご存知のことも多いかと思います。

また2013年までのことは、この電子書籍に詳しく書いています。

「三陸牡蠣復興支援プロジェクト」

さて、そうしたことを経て、今の僕は次の道へ進んでいる・・・と言いたいところですが、
そうでもありません。

まだ方針が明確になっていない中で、1mmずつ進んでいる状況です。

この半年間、悩みつづけましたが、そのときによく思い浮かんだ言葉は、「どうしてこうなってしまったんだろう」、「確かに僕には足りない部分はあっただろうけど、その動機は地域を助けたいと思ったのにどうしてこんな目に遭うんだろう」とかであり、それは自責の念というよりも他責にしていたように感じます。本当は全て自分自身が原因なのに。



何度、僕は失敗するのだろうか。

何度、僕は親兄弟や家族に迷惑を掛け続けるのだろうか。

何度、応援してくれている人を裏切り続けるのだろうか。

20代からスタートした経営者人生も、今のような状況に陥るのは初めてで、とても戸惑っていましたが、しかし、このようになったからこその見える景色もあります。

それもいつか、貴重な経験だったと思えるときが来ると思っています。

天命だと考えていた牡蠣事業を手放した悔しい思いと、僕には牡蠣以上にやらなくてはならない仕事があるはずという思いのハザマの中で、

僕は信じています。

僕にしかできないことが、きっとある….

※牡蠣の販売はしませんが、三陸プレミアム牡蠣養殖支援プロジェクトは継続しています。
※当社株主の皆様には近日中に今後のご報告をする予定です。