三陸牡蠣復興

20年後には世界有数の観光地へ

2011年秋、三陸の牡蠣生産者とフランスをまわったとき、「モン・サン・ミッシェル」が見えるカンカルの都市も訪問しました。
 
 
そのときに、地元カンカルの方からこう言われました。
 
「実は、あそこに見えるモンサンミッシェルは、1300年前に地盤沈下が起き、沢山の方が亡くなったんです。それで墓山と呼ばれるようになりました。その後、このままではいけないと思った司教が、教会を建てよう、観光地にしようと考えて取り組んだのです。その結果、今では素晴らしい世界有数の観光地になったのです。三陸も、そのようになったらどうですか?」
 
 
私はそのとき、すーっと素直に、そのようにしよう、と思いました。心に念じました。
 
もちろん、そうしようと思っても、私一人の力は微力で大したことはできません。しかし、こうして言い続け、書き続けることで、必ず賛同者、協力者が現れてくれると信じています。
  
 
フランスから帰国して約2ヶ月後、フランス式養殖を行う株式会社和がきを、三陸の複数の浜の牡蠣漁師と設立しました。
 
その理念は、牡蠣を通して震災前よりも遙かに素晴らしい三陸にしよう、というものです。そして半年後の昨年5月、和がきの牡蠣漁師に訴えたのは、5年後には日本一の牡蠣養殖会社、10年後には世界一の牡蠣養殖会社、そして20年後には三陸を世界有数の観光地にしようということでした。
 
 
私は思っています。

三陸の牡蠣を、国内はもとより、世界中に販売し、また世界中から三陸に観光客がどっと押し寄せて賑わうくらいならば、きっと、震災前よりも遙かに素晴らしい三陸になっているだろう、と。
 
 
 
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