三陸牡蠣復興

牡蠣を通して三陸の復興へ貢献したい

私が牡蠣を通して、三陸の復興に貢献したいという理由は、一つに、宮城と岩手の浜では大抵どこでも共通している産業が牡蠣養殖だからです。そしてもう一つは、私自身、「牡蠣」だけしか繋がりがなかったからです。

震災前より、私は日本全国の牡蠣をインターネットで販売する通販事業者(海鮮直送 旨い!牡蠣屋)ですが、もちろん、三陸にも取引生産者がいました。

震災後、三陸牡蠣養殖再開のためのプロジェクト(三陸牡蠣復興支援プロジェクト)を立ち上げましたが、スムーズに立ち上げることができたとしたら、ソーシャルメディアが役に立ったことは勿論ですが、何よりも、三陸の主な浜には、既に取引生産者がいたことでした。

当時、良からぬ甘言をするグループなどもだいぶ被災地をまわっていたようで、そうしたところと異にし、私のプロジェクトからの善意の支援を受け入れて下さるところが多かったのは、既に取引生産者か、取引生産者の紹介か、あるいはまたその方の紹介など、人の繋がりで支援先を拡大できたのが大きかったと思います。

何故なら、知らない人からの支援は受けないという空気が当時あったからです。

そのため、一般的に、三陸のために役に立ちたいと言っても、一つの地域だけならまだしも、広範囲のエリアで支援を拡げることは難しかったと思いますが、私が南は東松島から、北は宮古までの広範囲に、約400名の漁業者に支援ができたのは、やはり、「牡蠣」だからだと思うのです。

そういう意味で、私に課せられた使命があるとしたら、それはやはり「牡蠣」を通したものなのだろうと確信しています。

2011年の震災後、三陸牡蠣復興支援プロジェクトを展開し、2012年には、石巻と仙台で「かき小屋」を展開し、またフランス式牡蠣養殖「和がき」の事業を進め、そして今年2013年は、それらの発展型として、海外へ展開したいと思うのも、根底は、三陸を復興させたい、牡蠣を通して、三陸の復興に貢献したいという思いしかありません。

そして、私には、三陸の復興が、いずれ日本の復興に繫がるのではないかと感じるのです。

第二次世界大戦の終戦直後、焼け野原から、先人たちが日本を復興させてきました。震災後の三陸も、まさに戦争直後の焼け野原の状態でした。

その逆境から、立ち上がろうとする勇気こそ、三陸の復興に繫がり、そして日本の復興に繫がると思えるのです。

だから、私は、私の役割として、「牡蠣」を通して、三陸復興に貢献するということに努力したいと思っています。

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