熱き情熱

ビジョナリーを目指す

ビテスコ

つくづく私は一般人とかけ離れていると感じるときがあります。

何故なら、もっと、「ふつう」を演じれば、楽に生きられるのに、常に、自分の前にハードルを立て、公言し、乗り越えるまで(挫折するまで)の実況中継も自分で行うのです。

 

三陸牡蠣復興支援プロジェクトで、幾ら集めればこのくらい三陸牡蠣を復興できる、とか言って、一生懸命、浜を駆けまわったりしながらも、十分に養殖資材を行き渡らすことができず辛いと思ったり、

新しいかき小屋を作っていけば、三陸かき小屋街道ができて人が集まる、とか言って、かき小屋をやった経験もないくせに、かき小屋をどんどんつくってしまい、夏場のかき小屋で苦労したり、

フランス式養殖が、三陸牡蠣の真の復興の起爆剤になる、とか言って、漁業者とともに、今まで経験したことのない養殖方法にチャレンジしたり、さらには、日本で類を見ない牡蠣加工工場の建設計画を進めたりしながら、建設資金で苦労したり、

三陸牡蠣の本当の復興には、海外向けの販路確保が大事だ、とか言って、今までベトナムでは存在しなかった屋台型かき小屋をどんどんつくったり、またそのための運営会社を現地でつくりながらも、コトバや法律の壁にぶち当たったり、

1611年の慶長大津波からの復興を目指した1613年のサンファンバウティスタ号の出帆に倣って、2011年の東日本大震災の2年後となる今年2013年に世界と繋がるべく、世界の人を呼べるイベントを三陸で行おう、とか言って、サンファンバウティスタ号のあるサンファンパークで、三陸インターナショナルオイスターフェスティバルを計画したりしながら、遅々として進まない計画に苛立ったり・・・、と。

 

迷惑なのは、私の周りのスタッフや友人たちなのだろうと思います。

 

先輩経営者からは、牡蠣というリスクのあるものではなく、もっと儲かることを考えよ、と言われても、その方法を知るか知らずか、ただひたすら、三陸牡蠣の大きな飛躍が、三陸の真の復興へつながり、ひいては、三陸の奇跡の復興(震災前よりも遙かに素晴らしい状況になる)が、世界中の人に勇気を与えると信じているのですから、私の人生は、これからずっとこんな調子なのかも知れません。

 

いつもホーチミンでは、この写真のBITEXCOのビルを遠くに見てて、いつかはここに牡蠣ショップを開きたい、世界中の観光客に三陸牡蠣や世界の牡蠣を提供したい、と思い、

同時に、こうしたBITEXCOのようなシンボリックなビルが三陸にあったらいいな、真の復興のシンボルとなって三陸の海を遠くまで眺められるなぁ、と思い描いたりしています。

 

そういう私は、ビジョナリーを目指しています。

ただ将来を予見するというよりも、将来を予見し、自ら、それを現実に引き寄せる人間になれたら素晴らしいと思っています。