Ordinary Days

牡蠣業界で視野を広げる意味

僕自身が仕事で繋がりを持っている牡蠣漁師を次のように分類することが出来ると考えています。

1)自分や家族のためだけに仕事に取り組む牡蠣漁師

2)自分や家族だけではなく、同じ浜が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

3)自分や家族、また自分が所属する浜だけではなく、同じ市町村が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

4)自分や家族や自分が属する浜や同じ市町村だけではなく、同じ県の業界が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

5)自分や家族や自分が属する浜、市町村、県だけではなく、もっと大きなエリア(東北とか)が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

6)自分や家族、自分が属する浜、市町村、県、エリアだけではなく、日本全体の牡蠣業界が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

7)自分や家族、自分が属する浜、市町村、県、エリア、日本だけではなく、世界の牡蠣業界が良くなればいいと思っている牡蠣漁師

以上、何もこれは、牡蠣漁師に限ったことではなく、一般の経営者やサラリーマンも同じかも知れません。

僕は、どれがダメだとか、そういうつもりは全くありません。どれも、その人の考え次第だからです。

ただ、往々にして、上記の分類を超えた人同士が理解し合うことは難しいようですね。

僕の場合、自分、家族、自分に繋がりの深い浜、市町村、県、エリア、日本、世界、どれも大事だと考えていますが、そう考えているせいか、視野が(1)に限りなく近い人からすれば、僕は非常に違和感を感じる人間に見えると思います。

また今まで、僕のことを(4)や(5)の視野で考えていたのじゃないか、と思っていたら、どうも(6)のことまで考えると解った瞬間、自分の味方ではなかったのか、と、理解が吹っ飛ぶ場合もあるようです。

僕は例えば(7)を考えていても、日本の牡蠣業界のことも考え、当然、三陸のことも考えているし、宮城県のことも考えているし、石巻などの県内の浜のことも考えているし、もちろん家族のことも考えています。
どれが一番大事かという話しではなく、どれも一番大事だっていう話しなんです。

つまり、三陸の牡蠣業界のことだけ考えても、日本の牡蠣が風評被害などで売れなくてダメになったら、当然三陸の牡蠣業界もダメになるし、日本の牡蠣業界のことを考えていても、世界中の牡蠣が病気でダメになったら、日本だってやがてダメになるんです。

そしてそれは、牡蠣で事業を成り立たせている当社に繋がるスタッフやその家族、僕自身の家族にも繋がっている話しなわけです。

さらに僕は、こう思っています。

お互いに視野を広くすると、同じ業界の争いも減るのじゃないか、と。

例えばの話し、震災前、三陸では同じ浜の牡蠣漁師同士も争っていました。

それが協力し合わないとやっていけないというところで、同じ浜同士で協力することが出来てきたいと思いますが、今もって、同じ県内でも、浜が異なると排除の意識が非常に高まります。

もちろんお互い、同業種のライバルですから、全ての人同士で協力しあうことはできないと思います。

しかし、業界が伸びてこそ、お互いに生活ができるわけですから、片手で喧嘩しても、片手で握手しているような、同じ業界として、ライバルでもあり仲間であるように思う気持ちも大事ではないかと思うのです。

そして、今の僕の考えとしては、震災でダメージを受けた三陸の牡蠣業界が震災前よりも良くなれば、日本全体の牡蠣業界も良い影響を与え、それがやがて世界にも刺激を与え、全体が良くなっていくだろう、ということです。

事実、自分たちの震災を契機にしたフランス式としてのシングルシード養殖への取り組みが、やがて日本中にシングルシード養殖ブームを起こし、殻付き牡蠣のマーケット拡大に貢献しつつあると感じています。

間違いなくそれは、日本国内における牡蠣マーケットを変化させ続けるだろうし、一方では、日本での牡蠣養殖方法(大量生産型とシングルシードの併用)が、世界に広がり、世界中の牡蠣マーケットに変化を起こすだろうと感じています。

それはとりもなおさず、三陸の生産者の生活が良くなる、牡蠣に携わる人々の生活が良くなるという話しに繋がると思うのです。