熱き情熱

今こそ真の復興へ舵をきるとき

3年前の東日本大震災で、壊滅した状況の中で、僕は被災地が生きるのも困難な「復旧」もままならないとき、「復興」を掲げて、三陸牡蠣復興支援プロジェクトを2011年3月26日に開始しました。

被災地では当時、「復興」の言葉を、到底言える状況ではなかったのですが、地域外に対しては、「復興」を掲げて応援をいただくことが必要だったからです。

その後、2012年2月、震災から1年経つ前に、僕は「真の復興」を言い始め、石巻で初めての「かき小屋」を立ち上げました。

つまり、単に震災前に戻る「復旧」ではなく、震災前よりも遙かに素晴らしい状況となる「真の復興」を目指すべきだ、と。

そのためには、震災前になかった事業をどんどん行っていかなければならない、と思ったわけです。

フランス式牡蠣養殖会社「株式会社和がき」を2011年12月に三陸の漁業者と立ち上げたのも、その思いがあったからです。

しかし、どうしても、世の中は「復旧」の意味としての「復興」、つまり震災前に戻ることばかりを考え、震災前のレベルに対し、今はどのくらいまで来た、というモノサシで、すべてを見ているように感じます。

僕は、震災前のレベルとの相対位置は考えないで、今はどのくらい町造りができた、どのくらいの生産ができている、というように、すべてがゼロになったレベルからの絶対位置として、地域住民の生活をみなければならないし、地域住民の幸福と、それに相まって地域産業の活性化をどんどん進めていかなくてはならないと感じています。

つまり、震災前のレベルを「ゴール」にしてはならないと思うのです。

僕は、1995年1月17日の阪神淡路大震災で被災した複数の方から話しを聞きました。

彼らが異口同音に言うことは、「新しい産業をつくることが大事」、「子供達への影響はあとで段々出てくるから充分なケアが必要」などでした。

震源地に近い神戸は、20年経った今でも、震災前の賑やかさが戻っていないと言われています。

震災前に戻ろうとしても、簡単に戻れるものではないのです。だからこそ、震災前よりも遙かに素晴らしい状況を目指すべきだと、僕は言い続けています。

震災前よりも遙かに素晴らしい状況を目指して頑張った結果、ようやく震災前に戻れるかも知れないくらいだからです。

ちょうど3年経ち、ここ1週間くらいは、全国メディアも一旦は被災地を向いてくれますが、すぐに通常のニュースに切り替わり、やがて多くの人にとって、再び被災地の現状は遠い過去の話しになります。

それをいつまでも思い出してほしいと思うのは、僕らのエゴで、被災地は、東北は、自分たち自身の力で、震災前よりも遙かに素晴らしい地域となる「真の復興」を目指していくべきだと思っています。

それには、どんどん起業すべき人が起業し、既存の企業も新しい事業を果敢に進め、新しい産業をこの地で作っていくことが大事だと。

僕はそう思っています。